宇宙開発のはじまり 7
1966年度の重要な出来事は、日本が9州の鹿児島から自前の試験衛星を打上げる試みを行ったことです。
その打上げは失敗に終ったものの、宇宙飛行はロシアや米国、そして主要なヨーロッパ諸国だけの特権ではないことを、世界に示すものでした。
事実、同年中に日本は2回目の試みを行い、それも失敗に終り、その後も失敗を重ねましたが、1970年にはついに独自技術に基づく試験衛星の打上げに成功し、中国もまた同年同様な成功を収めたのです。
一方、ロシアはあるプログラムをスタートさせましたが、その目的は西側の宇宙関係者にはすぐには理解できませんでした。
西側の大使館付武官からは、ロシアが軌道ミサイルと称されているSS-10型ミサイルを開発した、という報告が送られてはきたものの、誰もがその情報をどう解釈すべきかにとまどったのです。
けれども1966年の夏の終りには、このミサイルに対する軍事的かつ科学的な情報収集が、強力に開始されました。
9月17日、ロシアは衛星の打上げを行いましたが、それが軌道に乗ったという発表を、史上初めて行わなかったのです。
そして、何が積み込まれていたにせよ、その貨物が爆発を起こしたのです。
地球上の監視装置を通じて米国はその破片を確認しましたが、それが何であったかの説明を行うことはできませんでした。